酵母のこと、再び

なんだか最近、ますます酵母がパンをつくっていると感じています。
私は酵母のしもべ、下僕。
酵母たちは粉を運べないので、粉を運び、混ぜ、酵母の仕事場を整えるのが私の役目。
まぁ酵母はそんなこと思ってないでしょうけど。

昔、自家製酵母のパン屋さんと話していたときに「酵母は焼かれる最後の最後まで呼吸してパンを膨らませてくれる」というような話が出て、“確かに!ありがとう、酵母たち”と思ったものですが、まぁ想像するとちょっといたたまれない気もします。人間ごときが「小麦はふくらませたほうがうまい」とかなんとか言い出したがために、たくさんの酵母たちの命が失われるなんて!(ってかパンには酵母たちの屍が…とか考えだしたら食べられない(笑))。

ですが。
最近はちょっと違うんじゃないかと、都合の良い解釈をしております。
酵母=菌って人間の都合で何億個とか数えられてるけど、そもそもそういう小さな単位で生きているわけではなくて、その人間が何億と言っているのは本当は一つの生命体で、その一部が切り分けられてパンをふくらませているのだ、と。イメージとしてはアンパンマンが顔の一部をおなかのすいた人に食べさせるような、グリム童話の『おいしいおかゆ』の食べてもなくならないおかゆのような、そんなイメージ。
(念のため、菌には痛覚も思考もないから大量殺戮も問題ないという、普通の科学的考えも承知しています。このブログは酵母へのクレイジーな愛を語るブログです。)

そんなことを思ったのはしばらく前の『料理通信』6月のパン特集を読んでいて。
以前ルヴァンで働いていたタルイベーカリーの樽井さんが、ルヴァンのスタッフが酵母に「お疲れ様でしたー」と声をかけていたと語っていたから。
あっ、てことはルヴァンのスタッフも、パンに混ぜで一緒に焼き上げた酵母と、手元に残っている酵母が同じ(ひとつづきの)ものだって思ってるってことだよね、と。

知らない人が見たら変態だと思うかもしれませんが、私もよく菌に語りかけています。
だって酵母たちがいなかったら小麦のカタマリはただのカタマリのまんまですから。
言葉にしなくちゃ感謝の気持ちも伝わらない!(いや、言葉で伝わるのか?)まあ、以心伝心でありがとうの気持ちは伝わっているはず。農家だって作物に声かけてる人がほとんどですから。声自体がどうこういうより、それによって整う気持ちとか、もっといえば気の流れとが波動とかそういう話になるのかも。

そういうわけで、パンは酵母がつくってます。
私は粉を運んで混ぜて、酵母に訊きながら窯に入れて、お客さんのところまで運ぶ係。

 

そんなことを考えていたら、人間だって個々の身体感覚の集合が「私」という一つの意識をつくっているのかも、という話を読みました。(長い記事ですが、これ。)肉体以前に意識は存在するって考えも好きですが、この粘菌理論、面白い!身体的アプローチを試みる身としては、こういうのもありかと思います。むしろ、身体の声を聴くってのはこういうことなのかも。本、読んでみようと思います。

 

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